山の名前はひとつとは限りません。
下羽田の里山には、「安吉山」と書かれた案内板と「安妃山」と書かれた案内板が混在していますが、どちらも誤りではありません。どちらとも「あぎさん」と読みます。「あきさん」「あんきさん」とは読みません。
もともと下羽田の里山にはその全域を指す名前がありませんでした。確か小学校では “雪野山”と習いましたが下羽田で “雪野山” というと上羽田の雪野山古墳あたりが思い浮かぶ為、地元では 下羽田の里山を “雪野山” とは呼んでいません。
もっとも下羽田で “山に行く” といえば下羽田の里山に決まっているので名前は必要ありません。しかし他の地域の方々に道案内をする場合にはそういう訳にはいきません。
特に雪野山古墳あたりから中羽田の女坂を超えて尾根を縦走される方々に対しては、これより先(雪野山古墳の反対方向)に直進すれば何処に辿り着くのかを案内する必要があります。そしてその名は “雪野山” 以外でなくてはなりません。そこでハイカーの方々に対しては “安吉山” の名でこの山をご案内する事になり、女坂からの登り口に “安吉山縦走コース” という案内板を設置しました。
この “安吉(山)” の名はこの山の山中にある 愛樂寺 の山号に使われている他、山裾には 安吉神社 も現存します。また雪野山の山中にある 3つの天神社は “安吉三天神” と呼ばれています。さらにこの地域の歴史を紹介する案内板や情報ページでも安吉山、安吉橋、安吉川、安吉氏、安吉郷など “安吉” の表記が数多く見られます。このように雪野山の北西部を中心に「安吉」の名が多く残っており、このあたりの山の呼び名が「安吉山」であった事が容易に想像できます。 * 関連情報
さらに調べてみると ” 安義橋 ” や ” 阿伎里 ” などのように、”あぎ” の漢字表記にはいくつかのバリエーションがあるようですが、古い時代に使われていたこの “阿伎” と “安義” はすでに、 “安吉” に収束した感がありす。
しかしその一方、東近江側では “安吉” ではなく “安貴” と “安妃”が近年まで使われてきた痕跡が残っています。例えば中羽田の山裾には、”安貴山” の山号を持つ 多聞院 が存在し、下羽田には “安姫山” の名が記された、江戸時代の古文書が残っています。
この古文書は、以前この山の山麓にあった劔神社の社傳(しゃでん)の一部です。 “安妃山鎮座” と記されており、この山が 安妃山” と呼ばれていたことが分かります。また、すぐ近くの 歌坂の由来 についての記載があり、歌坂の名が “安妃山鐘送り坂” と称されています。
* 歌坂の紹介ページ
下羽田ではこの古文書に倣い、新しく設置する案内板に “安妃山” の表記を用いるようになっており、現在この山の周辺には “安妃山” の案内板が増えてきています。このため “安吉山” と “安妃山” の案内板が混在し、どっちが正しいの?という疑問がが湧いてくると思いますが、両者は一般名とそのバリエーションという形で共存し、どちらも誤りではありません。
あとひとつ余談になりますが WEB 検索で珍しい情報を見つけました。和泉式部が野寺の鐘の音を歌に詠んだという由来により、雪野山の正式名称は “鐘ヶ岳” であるというものです。
和泉式部が歌を詠んだとされる歌坂は雪野山北西部にあり、この山が “鐘ヶ岳”と呼ばれていた可能性も否定できません。しかし WEB 上には、鐘ヶ岳という呼称についての情報はほとんどありませんので、案内板等で解説されていないか探しているところです。
* 関連情報